フィクション小説

2025年12月24日 09:18

灯りの奥にやどる静かな熱

 雨上がりの夜、職場から2駅離れた繁華街の路地裏のマンション。

 インターホンを押すと、間を置かずに柔らかな声が返る。
「どうぞ、お入りください」

 扉の向こうにいたのは、淡い色のワンピースに身を包んだ女性だった。年齢はわからない。だが、視線が合った瞬間、なぜかこちらの緊張を見透かされたような気がして、息が浅くなる。

「今日はお疲れが溜まっていますね」

 そう言われただけなのに、胸の奥がわずかにざわついた。

 施術室は間接照明だけが点され、精油の香りが空気を満たしている。衣服を預け、ベッドに横たわると、シーツ越しに体温が伝わってきた。

最初は基本的なマッサージだった。
 肩、背中、腰——しっかりした圧なのだが触れられた瞬間は羽根が触れたかのように軽くて心地が良い。確かな技術を持ったセラピストだとすぐにわかる。

 だが、時間が経つにつれ、彼女の手は「筋肉」だけでなく、感覚そのものに触れてくるようになった。

「…強すぎませんか?」
「……大丈夫です」

 返事をする声が、自分でも驚くほど低い。

 オイルで滑る指先が、必要以上にゆっくりと進む。触れられているのは背中のはずなのに、意識は別の場所へ引き寄せられていく。理性が、静かにほどけていく感覚。

「無理に我慢しなくていいんですよ」

 耳元で囁かれ、喉が鳴った。

 彼女の動きは決して一線を越えない。だが、越えないからこそ、想像が膨らむ。触れない距離、止められた時間。そのすべてが、甘い緊張として体に残る。

 施術が終わり、静かに照明が明るくなる。

「今日はここまでです」

 名残惜しさと安堵が入り混じった不思議な感情。
 服を着ながら、ふと気づく。体だけでなく、頭の奥まで軽くなっていることに。

 帰り際、彼女は微笑んだ。

「また、疲れたらいらしてください」

 扉が閉まる。
 外はもう、雨の気配すら残っていなかった。

 ——けれど、あの夜の余韻だけは、しばらく消えそうになかった。あの夜を思い出しては身体にこもった熱を発散する日々が続く。

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